ストーリー

奥信濃BUNZO
オーナーシェフ

小林 正和 氏
Kobayashi Masakazu

1949年 11月3日
長野県生まれ

日本の生チョコレート・生みの親

神戸や平塚の洋菓子店・大手メーカーで、シェフ&プロデュースを勤めたのち、09年プライベート・ブランド 「☆ル・ショコラ・Bunzoo」をオープン。

日本が世界に誇るレジェンド・生チョコの開発者。

生チョコレート誕生物語

~時は昭和~ 日本がチョコレートの発展途上国と言われた時代。

パキパキと固くて油っぽいチョコレートではなく、とろけるように、なめらかに後味をひく、そんなチョコレートは作れないものか?
ベルギーから届く原材料を前に、いつしか小林は、ある一つのイメージを膨らませていました。

自分のイメージに宿る、正体不明のチョコレート

そのチョコを開発する過程で、一番苦悩したのが、豊潤な風味を引き出すことでした。
カカオも生クリームも、元をただせば、一つひとつの結晶が集まったもの。
一気に暖めたり、驚かしたり、温度変化など、ちょっとした事で、その結晶は壊れてしまい、本来の風味を損ねてしまうんです。
カカオの結晶を、いかに最後まで壊さずに、生クリームを流し込むか。。。
当時の僕は、寝ても覚めても、その事だけを考えていました。

開発には、教科書や見本となるチョコレートは、どこにもなかったから、自分の理想への追求と、感性だけが、唯一の頼りだったんです。
最近、若い人が、「自分探しの旅」なんて良く言いますが、自分のイメージの中にある「正体不明のチョコレート」 これが何なのかを発見する旅ですね。

誕生の決め手になった「真実への扉」

溶かして→混ぜて→冷やす、と・・。 来る日も来る日も、この作業のくり返しです。
何度も試行錯誤をくり返すうちに、ある日、ひとつの真実を見つけ出しました。

結晶を崩さず温存する時間と熱量の絶対的関係

「チョコレートに気づかれないように、そぉーと、そぉーっと、 ゆっくり、ゆっくりと、16時間という長い時間をかけながら、少しずつ温度を45℃へ上げてあげるんです。
「すると、チョコレートは、 うとうと・・うとうと・・・・と、気持ちが良くなってきて、自分が溶けていくのに、まったく気がつかないんですよ。」
そこへ、一定の温度で調整した生クリームを、やっぱり、そぉ~と流し込んであげるんですね。
チョコレートは、うとうとしたままですから、生クリームが入ってきた事に気づきもしません。
そうすることで、それぞれの結晶をこわすことなく、本来のチョコレートが持つ豊かな風味を100%引き出す事に成功したんです。

完成に至った時には本当に感動しました。

ネーミングは 生チョコと決定

生クリームを使うという事もあったのですが、同時に新鮮さもアピールしようと思ったからです。
チョコレートに、「生」も「生じゃない」もないでしょう? って時代でしたから、始めの頃は、お客さんも、ずいぶんと、とまどった事と思いますよ。

当時のレシピを今日も守り続けて

生チョコがこれほどメジャーになるとは思いませんでした。
ご近所の方達に、美味しく食べて頂けたら、それで良かったんだと思います。
ところが、この生チョコの噂は、瞬く間に、どんどん一人歩きして、ついには全国から、作りきれないほどの注文が来てしまいました。
厨房で独り、連日徹夜して作っても、それを遥かに上回ってしまう量のオファーでした。

発売した当時、パッケージが無かった
もちろん今でも、完全な手作りですから、たくさんは作ることができません。
カットにしても昔と同じ方法ですから、形も微妙にでこぼこして、揃っていませんよね。(笑)
でも、この一粒ひと粒の形さえ、世界にふたつとない生チョコが、私は、ずっと前から好きなんです。 (M. Kobayashi)
美生活 アトンション 毎日新聞 日本経済新聞 dancyu より 一部抜粋